Frugal Life

(-_-;) すんません、小難しい単語を使った英文を書き慣れたいので、英文が多くなります

池田長発(3)池田遣欧使節団の昭和アイドル風:益田孝

まずは令和系の殿(井原領主池田筑後守長発)

f:id:mizunonamboku:20210121221812p:plain

...sigh... (⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

さて、池田遣欧使節団には、他にも刮目すべきイケメンがいます

f:id:mizunonamboku:20200915180602j:plain

 

f:id:mizunonamboku:20201123175716j:plain

 

f:id:mizunonamboku:20201123175956j:plain

 

幕末武士の益田孝(当時15歳)(1848年~1938年)

 

後の三井物産の初代代表取締役日経新聞の前身である新聞社の創設者

 

かなりのお洒落さんですね

 

こちらは孝の様子がよくわかるスフィンクス写真です

ちょうど反抗期だったのか、そっぽを向いています・・・

f:id:mizunonamboku:20201125125824p:plain

・前列左から二番目で陣笠を持っているのが、益田鷹之助

・その左斜め後ろで一人で左横を向いているのが、益田孝

・一番後ろで、ヤンキー座りしているのが、殿

スフィンクスの首にいるのが、山内六三郎

スフィンクスの首にうすぼんやり写っている影が、三宅秀(殿のマネをしてよじ登ったはいいが、露出時間中にずり落ち、きちんとうつっていない)

 

f:id:mizunonamboku:20210122121438j:plain

「自助益田孝翁伝」巻頭写真ページより引用

親子で撮影

 

f:id:mizunonamboku:20210122121603j:plain

同じく巻頭写真ページから

「明治3、4年ころ」(1870年~1871年)との書き込みがあります

このころの孝は、「中屋徳兵衛」の屋号で、お茶や海産物の売り込み問屋(輸出商)をしていました

もっとも、pp87では、明治3年に(得意の英語と輸出取引経験を生かして)ウォールシ・ホールのクラークとして働き始めたとありますから、明治3年20歳ころのお写真かしら


 ・・・

 

第二次遣欧使節団のころに話を戻すと、使節団では親子での参加は禁止されていました

そこで、孝は名前を「進」と変え(2枚目の写真にも「仮名 進」とあります)、益田鷹之助の家来という立場で参加しました

名刺兼お写真には「孝」と書き込まれていますし、岩松太郎「航海日記」にも「実は増田鷹之助の倅(せがれ)」と、訪欧中にすっかりバレていたようです

 

ところで

「表向きの立場と、実際が違う」

というのは、ひとり益田孝だけではありませんでした

 

例えば、三宅秀は「田辺太一(組頭)の家来」として参加したものの「実は浪人医師の倅」と書かれています・・・岩松さんたら、口が悪い・・・🤢

 

また、河津の家来として参加した3名のうち、岩松太郎以外の2名(ドミノ倒しでさらに別枠の1名)は、出を偽っていました

・別所佐二郎⇒水戸殿御家来(たぶん、監視役)

・高橋留三郎⇒名倉予何人の給仕

 

この名倉予何人は、田中廉太郎(奉行格)の家来として同行したが、実は井上河内守の家来で儒者でした

 

身辺調査がこんなに適当すぎるメンバーで、国運を左右しかねない井戸川事件賠償交渉&横浜鎖港交渉をするなんて、いったい老中たちはどういうつもりだったのかと

 

まぁ、長発が剛腕で賠償交渉を決着&鎖港交渉はそもそも無理筋、ミッション自体はベストの結果を残せたわけです

さすが殿、グッジョブ👍

 

そして、こんなグダグダな身辺調査で30余名を何年も引き連れていたら、何らかの事故につながる危険性もあるので、半年ほどで帰国したのも正しい判断と思われます

 

・・・

 

益田孝もユニークな方です😊

「自叙益田孝翁伝」の中で、次のようなことを書かれています

 

【池田一行がマルセイユに到着し、ホテルで従業員にエスコートされた際の出来事】

 

「田中という人は一行の中でもなかなかやかましい人であったが、いよいよマルセーユに上陸してホテルに着くと、(案内係が)どうぞこちらへと言うて案内するから(、一行が)入ってみると、実に狭い部屋である。

 (田中は)

 「いかに日本が小国だというて、我々をこんな狭い部屋に通すというのは実に怪しからぬ」

と言うて、ぷんぷん怒り出した。

 (田中が)しきりに怒っていると、その部屋がスーと上へ上がっていった。

 エレベーターなんだ。」

 

TBSの世界ふしぎ発見でも、このシーンを使って、面白い再現ドラマを作られていました

 バックナンバー|TBSテレビ:日立 世界ふしぎ発見!

 

・・・

 

益田孝は、明治維新後、即座にビジネスマンに転じ、成功を収めました

一見すると時流に乗った順風満帆の人生のようですが、結構大変だったご様子 

例えば、いくつかの会社設立時には、益田孝のみが無限責任を負い、三井財閥本体には傷がつかないというスキームだったとのこと

大変だったに違いないのに、さらっと一行で済ませてしまうところ、如何にもやり手のビジネスマンらしい

 

また、40歳ころから茶道でも頭角を現し「千利休以来の大茶人」とも称されました

そのきっかけというのが面白くて、どうやら明治三年ころ(二十歳ころ)、お友達の家で寝っ転がって羊羹を茶杓で切って食べていたところ、なぜかそこに現れた裏千家の家元に見とがめられて叱られたのが始まり(同書pp83)

 

✧「自叙益田孝翁伝」は現在絶版です

残念ながら、国会図書館のデジタルでは未公開なので、私は中古本を購入しました

 

✧同書は長井実さんが編集された書籍です

 長井さんは初代・津市(三重県の県庁所在地)市長の息子さんで、偶然ですが昨年寄付させていただいた本居宣長さんとのご縁をちょっと感じました

 本居宣長について (norinagakinenkan.com)

 

 ・・・

ユニークと言えばこの方、岩松太郎さん

 

 横浜鎖港使節・パリ万博使節他写真. 写真(岩松太郎) - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

 

f:id:mizunonamboku:20201124191655g:plain

 

f:id:mizunonamboku:20201124191714p:plain

f:id:mizunonamboku:20201124191729p:plain

 

岩松太郎さん含め4人くらいで新橋の飲み屋に集まるサラリーマン風の写真をどこかで見たのですが、保存を忘れました😿

 

・・・

 

フランス文化庁が所轄するMédiathèque de l'architecture et du patrimoineのDépartement de la photographie

MAP (culture.gouv.fr)

 

この重要施設には4百万以上のガラス原版が保存されており、池田遣欧使節団の写真も眠っています

 

Accès : sur rendez-vous uniquement

= アクセス:要予約 

 

D'accord, j'étudierai davantage le français.(^▽^;)

 

・・・

 

本日もお読みいただき有難うございました

(⋈◍>◡<◍)。✧♡

God bless you💞

 

☆なお、本文中の年齢は西洋風の数え方です

 

YOUYA

朝ドラ「べっぴんさん」の英輔ロスから立ち直れない方へ💖

youtu.be

まじめに英語勉強している人のきれいな(アメリカのインテリ層の)発音💖