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英検1級保持者:ペトロフかスタインウェイ(ヨーロッパ)欲しいなぁ・・・

Entries from 2021-02-01 to 1 month

池田長発(7)敵の敵は味方

1864年8月の池田長発の帰国直後にフランスのレオン・ロッシュ公使が来日し、1867年にフランスの軍事顧問が来日して軍事訓練等を行う際には長発は軍艦奉行並に任命されました このように、江戸幕府とフランスの関係は、長発一行の訪仏と長発の働きにより、良…

池田長発(6-4)経歴と評価

池田長発の仕事ぶりは、高く評価することができます 【井土ヶ谷事件の賠償交渉の解決と日仏関係構築】 江戸・横浜を火の海にしかねない日(幕府)仏戦争を、長発がパリ条約を締結することによって回避しました 当時はキャンシャン号事件(長州藩がフランス人…

池田長発(6-3)経歴と評価

池田長発一行は、幕府に断りなくイギリス及びオランダ行きをキャンセルし、フランスから日本に戻りました ・フランスの勧め ・日本出立前の一行に対するイギリス側関係者の冷淡な態度 ・イギリスの国力低下やsplendid isolationの限界 ・どうせ鎖港交渉は無…

池田長発(6-2)経歴と評価

さて、一行は、文久3年12月28日(1864年2月5日)、2~3年程度の予定で、フランス軍艦ル・モンジュ号に乗り日本を出航しました そして、上海、客船に乗り換えてインドを経由しスエズ、列車でエジプトのカイロ、ギザの三大ピラミッドやスフィンクスを見学、…

池田長発(6-1)経歴と評価

池田長発(いけだながおき) (1837 - 1879) 歴女たちによって、まずは池田長発のヴィジュアルが驚きをもって広く知られるようになり、さらにその優秀さと優れた仕事ぶりが再評価されるようになりました 【池田長発 略歴】 ・天保8年7月23日(1837年8月23…

池田長発(5) 齋藤次郎太郎 & 山内六三郎

「すみ」さんの可能性のある浦本時蔵さん 浦本時蔵が仕えていたのが、齋藤次郎太郎でした なんかなー、昭和のパワハラ感が・・・ この写真の一番右側の人も、齋藤次郎太郎 すっかりナダールの子供と仲良くなっています 齋藤次郎太郎は、1864年8月19日使節団…

池田長発(4)優しくて知的なお父様役、河津伊豆守祐邦

遣欧使節団の副使であった河津伊豆守祐邦 いかにも真面目そうな古き良き初老のサムライ (略歴) 1821年生まれ 嘉永3年(1850年)9月 家督を継ぐ 安政元年(1854年)7月28日 箱館奉行支配調役(150俵高)となって蝦夷地の開拓や五稜郭の築造に携わる 同年12…