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池田長発(6-2)経歴と評価

さて、一行は、文久3年12月28日(1864年2月5日)、2~3年程度の予定で、フランス軍艦ル・モンジュ号に乗り日本を出航しました

 

そして、上海、客船に乗り換えてインドを経由しスエズ、列車でエジプトのカイロ、ギザの三大ピラミッドやスフィンクスを見学、フランスのマルセイユから陸路でパリに到着しました

 

【軍艦の乗り心地は最悪】

武家さんの日記は遠慮深い

そのため、お武家さん以外の日誌などに、その時の様子をうかがい知ることができます

 しかし、理髪師さんである青木梅蔵の日記は、遠慮がありません

 当時の日本の庶民の知的水準の高さ、つまり、読み書きを庶民もできたという日本の文化水準の高さも、うかがい知ることができます

 地獄の沙汰の船酔いの様子は、かなりおもしろいので、また別稿を設けようと思います

 

mizunonamboku.hatenablog.com

 

 

拙者は食えん!―サムライ洋食事始―

拙者は食えん!―サムライ洋食事始―

 

 

 

【出港早々、鎖港不可能を悟る】

一行は、日本をフランス軍艦で立ち、上海にて客船に乗り換えました

 

勘のいい池田長発は、この上海の発展を見て、鎖港はほぼほぼ不可能と直ちに悟りました(三宅秀、文久航海記)

 

「我が正使の池田筑後守も、日本を出るときまでは鎖港の談判を遂げて使命を果たすつもりでありましたが、まずこの(上海の)開港場の繁華な光景を見て、とても鎖港などということは口へも出せぬ、我が使命を果たすことはなかなか困難千万のことであると思われた」

(☆仮名遣いを現代語に改めました)

 

上海で、池田一行は、約2年間の休暇(なんというホワイト待遇)を終え日本に帰任中の英国公使オールコックと、面会しました

 

オールコック

「池田長発らが今回の使命が成功する見込みのないことをよく承知している」

との印象を持ちました

 

それからパリに行くまでの珍道中も面白いのですが、これもまた別稿で

 

一行は、パリでは、ナポレオン3世に謁見し、フランスの外務大臣ドルアン・ド・リュイスとは7回にわたり会談しました

 

リュイス外務大臣との4回目までの会談は、リュイス外務大臣が、池田一行の話を遮って雑談にもっていってはぐらかすやら、1862年メキシコ出兵(フランス、ほぼ勝利)を持ち出して日仏戦争をほのめかすという体で、慇懃無礼といってもいい態度でした

 

これに対して、日本の名誉を守るという使命感に燃える池田長発らは態度を硬化させ、逆に完全なる鎖港から一歩も引かない事態となりました

しかも、鎖港を主張している本人ら自身が無理筋と自覚しているので、かなりたちの悪い交渉です(あるよね、こういう仕事って・・・)

 

5月、シーボルトは68歳と高齢にもかかわらず、ヴェルツブルグ(オランダ)からパリへ行き、池田長発一行と会い、膠着状態となった対仏交渉のあっせん・助言をしました

 

このシーボルトの働きのおかげか、1864年5月28日、第五回目は秘密会談として開催され、ターニングポイントとなりました

(日本側:正使池田長発、副使河津伊豆守祐邦、目付河田相模守熙、通訳

 フランス側・ドルアン・ド・リュイス外務大臣他1名)

 

同年6月1日、池田長発は、ドルアン・ド・リュイス外務大臣に対し、井土ヶ谷事件の被害者であるカミュ少尉の遺族に対する3万5000ドル(19万2500フラン)の扶助金を渡しました

ミッション1の井土ヶ谷事件は、これで解決です

 

同月20日、7回目の会談で、パリ条約を締結

内容はフランス側のサイトから確認できます

(日本側では1次資料が残っていない)

https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k95886s/f354.image

その中には

・キャンシャン号砲撃事件(完全に長州藩のやらかし)の賠償責任14万ドルのうち、10万ドルを将軍、4万ドルを長州藩主が払う

✧キャンシャン号事件

 文久3年5月3日(1863年7月8日)、長州藩がフランス船籍のキャンシャン号に対して砲撃、キャンシャン号は事情が分からず書記官と水夫を交渉のためにボートに載せて陸に向かわせたがこれを長州藩がさらに狙撃、フランス側は1名が負傷、4名が死亡した

メデューサ号事件

 文久3年5月26日(1863年7月31日)、オランダ船籍メデューサ号に対して長州藩が砲撃、オランダ側の死者4名、船体に大きな被害を受けた

この二つの事件が、長州vs四国連合の下関戦争のきっかけとなりました

・関税引き下げ(ワイン及び醸造酒5%、時計及び鎖5%、その他パリ産品6%)

・馬関海峡(現在の下関海峡)の自由航行

など、余計な項目(フランス側にとって強すぎる条項)も多数入っていました

「『強すぎる条項は守られない』 - これは幕府による破棄が既定路線だね」

と、分かる人には分かる内容です

 

ちなみに、特に馬関海峡の自由航行に関しては、幕府が本当に条項を実現してしまうと、キャンシャン号事件等を契機とする長州vs四国連合(イギリス、フランス、オランダ、アメリカ)の下関戦争(当時は準備中)からフランスが抜けることになり、フランス側でもイギリスらとの関係でややこしいことになってしまうという問題がありました(この話も別稿で)

 

このパリ条約の3人連署部分や仏国行帰府上申などの貴重な映像が、TBS世界ふしぎ発見2017年11月11日放送分にありました

 

池田長発の署名は

「やっべ、『後』の行にんべんまで、大きく書き過ぎちゃった ー そうだ、『守』小さくしとくわ」

的な、力強くもユニークなサイン

花押も素敵で、飛び立つ蝶のようです

名刺といい、花押といい、池田長発の西洋文化と日本文化の融合のセンスは、美しいですね 

 

世界ふしぎ発見のTV画面・・・DVDなどで販売していただけないものか

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