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池田長発(7)敵の敵は味方

 

 

1864年8月の池田長発の帰国直後にフランスのレオン・ロッシュ公使が来日し、1867年にフランスの軍事顧問が来日して軍事訓練等を行う際には長発は軍艦奉行並に任命されました

 

このように、江戸幕府とフランスの関係は、長発一行の訪仏と長発の働きにより、良好に保たれました

 

ただし、ここには大きな落とし穴がありました

敵の敵は味方、というやつです

・・・

英仏のライバル関係は、日本を舞台に、随所に現れています

 

1958年

日仏修好通商条約の交渉のときのこと

幕府側の役人らは、先にイギリスからプレゼントされた船に乗り、フランス船に乗りつけました

このことを、フランス側代理人

江戸幕府

『イギリスから幕府のプレゼントは、このとおりとても立派です - が、あなた方フランスからのプレゼントは、残念ながらみすぼらしい』

と、暗示しているのか」

と、非常に気に病みました

 

そこへきて、長発一行がフランスとは協定を締結しイギリス行きはキャンセル

この長発の行動が、フランスをいたく上機嫌にしたことは、想像に難くありません

もっとも、幕府とフランスの関係が改善したことによる、逆の事態も発生しました

つまり、フランスが江戸幕府についていたこと、江戸幕府が長州と対立していたことから、イギリスは長州との関係を改善したのです(第二次下関戦争にも関わらず)

そして、幕府vs薩長では、イギリスは薩長側につきました

・・・ 

ところで、第一次遣欧使節団と比べて目的地が格段に少ない(仏英蘭)第二次遣欧使節団に、幕府が3年程度のスケジュールを見立てていたのは、どういうことなのでしょう

 

少なくとも幕府の老中らは、3年程度の「時間稼ぎ」を考えていたものと思われます

それ以上の建設的な考えはなく・・・ただ、攘夷派の孝明天皇に対するエクスキューズ的な・・・

「いや、こちらもガンバってフランスと交渉してるんですけど、相手があれなもんで・・・まぁ長発もよくやってくれてますから、お待ちください」

ところが、長発らがさくさく交渉をまとめて日仏戦争を回避して、7か月ほどで帰ってきてしまった

 

このどんでん返しにもかかわらず、幕府はうまくさばいています - うますぎです

やはり、予めフランスが絵を描き、フランス公使を通じて、幕府になぞらせたのでしょう

 

本日もお読みいただきありがとうございました

God bless you and your loved ones💞