池田長発の仕事ぶりは、高く評価することができます
【井土ヶ谷事件の賠償交渉の解決と日仏関係構築】
江戸・横浜を火の海にしかねない日(幕府)仏戦争を、長発がパリ条約を締結することによって回避しました
当時はキャンシャン号事件(長州藩がフランス人1名を狙撃し死亡させ、4人が負傷)で下関戦争が起きる直前でしたから、横浜の井土ヶ谷でフランス人士官が暗殺された井土ヶ谷事件を契機に江戸が攻撃される危険性も十分にあったのです
実際、長発らがフランス外務大臣と交渉していた際には、長発らは外務大臣から江戸を戦場とする攻撃の可能性をほのめかされました
長発は、緊迫する交渉をうまくまとめ上げ、良好な幕仏関係の基礎を構築し、明治維新以降の人材交流・文化交流などの親密な日仏関係構築にも貢献しました
【鎖港:予定調和の棚上げ続行】
当時の幕府は、1858年にアメリカと締結した修好通商条約、そしてその後も次々と締結した各国との修好通商条約により、各国との間で横浜・神戸・函館・長崎・新潟の5港の開港を約束していました
ところが、それから6年を過ぎた1864年になっても神戸・新潟の開港は先延ばしだったため、幕府は欧米から厳しく非難されており、加えて横浜再鎖港なんて到底不可能でした
また、開国に後ろ向きな幕府が、速やかに神戸・新潟の開港をするというのも、またあり得ない話でした
当時の幕府が開国に積極的でなかったというのも無理からぬものがあり、その理由は次のようなものでした
・安価な輸入品増加による国内産業への打撃
・輸出増に伴う一部商品の国内流通量減少による高騰
・金銀の交換レートの差による、海外への金の流出
・攘夷派が乱暴狼藉を働いたり暗殺事件を次々に起こすなどを繰り返し、グローバル化の歪の中で困窮した農民らが打ちこわしを企てるなど、治安が悪化していた
【フランスに視点を移す】
池田長発の旅程キャンセルにより、幕府とイギリスの関係性構築を邪魔することができ、幕府との関係での権益を確保しました
いつの時代も、イギリスとフランスは張り合っているのです
・長州藩の身勝手については、キャンシャン号事件等を発端とする下関戦争を四国連合の一員として準備中のフランス政府は、百も承知
・長発一行が長州藩の大使でなく、むしろ幕府と長州が対立していることも、フランスは承知している
・フランス船砲撃の和解や馬関海峡の自由航行は、四国連合からのフランス離脱に直結するので、オランダらとの関係でややこしい問題を起こす
・フランス側も、大局観では、幕府に条約破棄してもらいたかった(在日公使を通じて、裏で話がついていたのでしょう)
・フランスに有利な条約を一応は締結することで、池田使節団を厚遇しただけで終わった、という、フランス国内の対日強硬派による批判を避けられた
つまり、合意には
「守られなくても構わない、存在自体が役に立つ」
というレアケースがあるのですが、今回はそれに該当したのです
【使節らの安全確保の観点】
幕府による処断はありました
しかも念入りに
「長発、長旅のせいで頭おかしくなった」
という話を流布したので、攘夷派から使節らを守ることができました
その後、幕府は長発を軍艦奉行並という重要な役職に任じており、長発の頭がおかしかったということはあり得ない
また、長発が数か月で病気を理由に辞任すると、幕府は直ちにその養子の長春(当時6歳程)に役職を与えました
幕府が長発をつなぎとめておきたかったことが伺われます
【池田長発ら3名の建白書】
彼らが提案した軍隊の近代化(陸海二軍編成など)を幕府は遅ればせながら数年後に実行しました
2017年11月11日放送の世界ふしぎ発見から拝借しましたm(_ _)m
DVDかブルーレイで発売していただきたい
しかし、何かと言うだけ番長で船舶に無知で船酔いで一等船室にこもりっきりの勝海舟を軍艦奉行そして海軍奉行に任命するなど、幕府は大事なところで人選を間違いました
これにより、優秀な人材がぼろぼろ抜けました
(殊に、高利貸し気質の勝海舟と、お殿様の池田長発では、そりが合うはずがない)
益田孝に言わせれば「幕府には人がいない」という状況に陥り、浮浪者みたいな人材ばかりの寄せ集めとなり、戊辰戦争は初戦の鳥羽伏見の戦いで惨敗、新政府軍に完敗しました
この負け戦ぶりと死が近づいてくる恐怖を、益田孝は自伝に詳細に記しています
関東大震災すら軽妙に語る益田孝にしては珍しいことで、幕末の幕府軍が本当にまずい状況だったことが伺われます
【池田長発の人物評】
池田氏系譜「故池田筑後の森履歴取調書」(岡山大学附属図書館所蔵 池田家文庫、井原市史Ⅳ)によれば、池田長発について、末尾に次のような記述があります
(片仮名を平仮名にするなど、読みやすく改変させていただきました)
「築後守(の)人となり、気宇俊邁、機に臨んで能く断つ、眉目清秀、眼光人を射る、その文辞もまた優に作家の林に入るという」
かなりの誉め言葉・・・
数々のお写真をナダールらが残してくれていなければ、こんな人と誤解されてしまったかもしれません💦