チャーチル元首相みたいなアクセント
また、リラックスした様子から、三島が日常的にイギリス上流階級英語を話していることが伺われます
そして、三島のおっしゃるとおり、米国はアジアについて無知かもしれません
(「『1930年の満州事変は、日本の強烈な反共主義を示すものだった』ということを、アメリカは全くわかっていない」)
・・・
それで思い出したのが、これ
1911年10月10日の中国創立記念日を、アメリカは祝福する
150年前のアメリカのように、中国は民主主義のために戦っている
(注:つまり、このポスターは1925年から1933年までのもので、1941年の日米開戦よりも前です)
勇敢に戦う中国共産党を支援しよう!
・・・はい?
このポスター中央の孫文(Sun Yat Sen)は、日本からも多大な支援を受けました
1911年国民党設立の後も、1913年から1915年まで、日本へ「二度目の」亡命をしたほどです
さかのぼって説明しますと
「一度目の」亡命のときは孫文が広州でのテロ計画に失敗したことが原因で、頭山満が孫文の世話をしました
平岡幸太郎は、生活費などの資金を提供しました
犬養毅は、早稲田の2000平米の豪邸を用意しました
日本の親切に増長した孫文は、中国人の妻がいるのに、日本人女性と結婚、さらには日本人女性の愛人を囲いました
そして、孫文は、日本政府のサポートで、欧州各国やその周辺地域を歴訪
エジプトでは、日露戦争勝利の影響で
「お前は日本人か」
と歓待を受けました
さらに、1911年10月10月、孫文は国民党を設立
国民党が共産主義の防波堤となることを期待した日本は、熱烈支援しました
そして、孫文は、敵対するグループから命を狙われ、再び日本に亡命(1913年〜1915年)
「明治維新は中国革命の第一歩であり、中国革命は明治維新の第二歩である」
と手紙を送りました
さらに、別の日本人女性と婚姻もしました
(当時の国際家族法って、いったい・・・)
そんな孫文は、ロシア革命にかぶれて1923年に国共合作、1925年死去
アメリカは、徹頭徹尾、権益がモチベーションであって、反共ではないのかもしれません