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天皇制の「日の名残り」(1)古事記は100%創作

カズオ・イシグロの「日の名残り」お勧めです

 

さて

古事記」に載っている天皇(33代推古天皇まで)は、すべからく創作です(断言)

 

古事記には突っ込みどころは多数あります

例えば、33代とされる推古天皇(554~628、この時代の人で生年が明らかというのがまずおかしい)は、古事記によれば、在位期間592から628年まで

これに対し、同時期の「隋書」の「東夷列伝」に記載されている倭王天皇)は、男性

・600年に倭王「多利思北(比)狐(たりしひこ)」が隋へ使者を送った、その妻「きみ」、太子「りかみたふつり」

・608年に多利思北狐が隋に使者を送った

・609年に随の煬帝は裴世清を倭国に派遣し、彼は男の倭王に会った

 

つまり、推古天皇は存在せず、真実の当時の倭王は多利思北(比)狐となります

 

では、なぜ古事記を編纂させた天武天皇(有力説は621年または631年~686年)は多利思北狐を抹消し、推古天皇聖徳太子小野妹子(607年に隋に行っていない)らをでっちあげたのでしょう

 

舒明天皇(593年ころ~641年、自称推古天皇の後任で34代天皇)がクーデターで多利思北狐を殺害、これを舒明天皇の息子である天武天皇古事記により隠蔽した、という説が有力です

 

古事記の特徴ですが、編者は2人・編集期間4か月ほど・わずか3巻とライトなつくりで、内容はいなばの白兎やヤマタノオロチなどの物語が多く、和化漢文で書かれており日本国内向けです

そして、特に、推古天皇聖徳太子推しが強い

キリストのように馬宿で生まれた、10人の話を同時に聞き適切な返答をした、冠位十二階&17条の憲法&遣隋使など全て聖徳太子の功績&小野妹子無双が強調され、殊更に多利思北狐の時代が塗りつぶされています

 

多利思北狐殺害事件を知る人には不快でしょうが

「そりゃぁ、おとぎ話だけど、歴史書ってことにするよ?文句ある?多利思北狐みたいになりたい?」

とでも言われれば黙らざるを得ない

隋の記録によれば多利思北狐の後宮には600~700人もの女がいたとのことで、クーデターの際にはどれだけの殺戮が行われたことか・・・これはビビるでしょう

 

そして、古事記が歴史を塗り替える、という訳です